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太平記に見る親王の恋物語−

太平記にそって金崎宮の御祭神である「尊良(たかなが)親王」にまつわる恋のお話をいたしましょう。

1320年代、鎌倉幕府末期のことです。

 尊良親王は元服の後、その成長とともにどんどん才覚を現されるようになり、容貌の点においても人並み外れたものがりました。「尊良親王こそは(後醍醐天 皇の)次期皇太子!」と、みんな期待に胸躍らせていたのでした。 しかし、鎌倉幕府の差しがねにより、後二条院の長子・邦良親王(くにながしんのう)が皇太 子に就任。尊良親王に仕えていた人々はみな望みを失い、親王自身も世の中真っ暗になってしまったのです。それからというものは、詩歌に明け暮れ、風流に心 運ぶしか他にない毎日。
すっかり落ち込んでしまっている親王を親友の二条為冬(にじょうためふゆ)が絵合わせに誘いました。二人ででかけた絵合わせの会で親王は洞院左大将(とういんのさだいしょう)が披露した絵の中に描かれた女性に恋をしてしまったのです。

 数日後、皇太子の一件以来落胆してしまっている上に絵の中の女性に恋をしたことによって一段とふさぎこんでしまった親王をみかねて為冬が下鴨神社への参詣に誘います。
下鴨神社からの帰り道で親王はあの絵の女性に似た女性に出合ったのです。その女性は今出川公顕(いまでがわきんあき)公の姫君で御匣殿(みくしげどの)と いい、既に徳大寺左大将(とくだいじさだいしょう)との婚約を交わしていました。それでも親王は御匣殿に手紙を送り続け、そしてその手紙は一千通に達しよ うとしていました。

 ある日、婚約者がいるのに御匣殿が愛情深い親王に心を引かれて悩み苦しんでいる事を知り親王は「自分が愛する女性を苦しめてしまった・・・」と身を引いたのでした。それからというものすっかり親王はふさぎこんでしまいため息ばかりが増えていきました。

 そこへ親王に朗報が届きました。「徳大寺左大将が御匣殿との婚約を取りやめにした」というのです。

 早速、親王は御匣殿に
「知らせばや塩やく浦の煙だに思はぬ風になびく習ひを」
(塩を焼く海人の煙でさえ、思いがけない方向から吹く風にはなびくものです。その風のような私のあなたへの思いを、お知らせしたいことですよ)
と手紙を書き想いを改めて伝えました。

すると御匣殿から
「立ちぬべき浮名をかねて思はずは風に煙の靡か(なびか)ざらめや」
(あなたとの恋の噂を私が心配しないでいい立場でございましたなら、煙が風になびくように私の心もあなたになびいておりましたでしょうに)
と返事が返ってきたのでした。

尊良親王と御匣殿はこうしてめでたく結ばれたのでした。
こうして結ばれた2人なのですが、またもや困難が待ち受けていました。


 御匣殿(みくしげどの)
 貞観殿の中にあって女官たちが天皇や皇后などの装束裁縫、身の回りの世話などにあたったところ。またその女官の長である別当をさす。このお話では後者を指している。

 つづきのお話は「太平記」「金ヶ崎恋物語」に書かれています。

「金ヶ崎恋物語」は金崎宮・敦賀市観光協会にあります。



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