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功名が辻−

 NHK大河ドラマ「功名が辻〜山内一豊の妻」。
原作の「功名が辻」の【戦場】というお話の中に出てくるのが金ヶ崎城です。

 律儀一筋のさしたる取り柄も功名もない男、山内伊右衛門(一豊)が信長・秀吉・家康3代に仕え、戦国を生き抜き土佐一国24万石の大名になった陰には妻の千代の類まれなる政治感覚と夫を信じぬく愛があったといわれています。
 そんな出世物語を描いたのが「功名が辻」です。


【戦場】
 一豊が信長に仕えていた元亀元年4月、朝倉氏攻めの「金ヶ崎の戦い」で敵の矢を受け左眥(まなじり・目じり)から右奥歯に貫通する深手を負いながらも、朝倉軍の大剛三段崎勘右衛門を討ち取った。

 この手柄により、秀吉に与えられた領国の一部である唐国四百石を信長から与えられたのが、山内一豊戦国武将としてのスタートともいわれています。
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天筒山(てづつやま)から見た金ヶ崎、現在の鉄道の所は海でした。
大河ドラマ「功名が辻」ではこの場面がCGなどで編集されて登場しました。
織田信長・朝倉攻め進路及び退路図
元亀元年4月20日・京を発・22日熊川宿・23日佐柿に入る。敦賀・妙顕寺に陣を構え・25日手筒山城を落す・26日金ヶ崎城を開城。28日浅井長政の裏切りに総退却・朽木谷を越え・30日京へ入る。(青線・赤線は参考)

利家とまつ−

 2002年に放送された、NHK大河ドラマ「利家とまつ」。
原作、竹山洋・利家とまつの【比叡山焼き打ち】というお話の中に出てくるのが、金ヶ崎です。

 織田信長や豊臣秀吉に仕え、越前・能登・加賀と移りながら加賀百万石の礎を築いていき、同時代の信長、秀吉、家康のようにトップの座につくのではなく、常に彼ら主君を支え続け、ナンバー2の座にいた前田利家。
 律儀・実直・誠実・・・そんな利家がまつと一緒に運を切り開いていくという夫婦の波乱の物語を描いたのが「利家とまつ」です。



 原作、「利家とまつ」の【比叡山焼き打ち】に比叡山のお話の前に出てくるのが、金ヶ崎での戦いの話です。
 
 1570年朝倉氏を攻めるため京都を発した織田信長は、途中で徳川家康と合流し金ヶ崎城を攻めました。尾根伝いの手筒山城を落とし、金ヶ崎城を落とした 信長は、長政に嫁いでいた妹の市から、小豆を入れた袋の両方を紐で結んだものを届けられ、近江浅井氏の裏切りを知り、挟み撃ちを恐れ利家らを連れ退却しま した。
 このとき殿軍を務めたのが豊臣秀吉で、「金ヶ崎の退き口」と称されるほど、見事な撤退作戦を行ったといわれています。


 【金ヶ崎の戦い】でお市の方(妹・市)が兄・信長に浅井氏の裏切りを知らせるため、両方を紐で結んだ袋に小豆を入れ、陣中見舞いとして届けさせたといわれています。
 この様子が袋の鼠の意を表わしているということに気づいた信長は、すぐに撤退したのでした。

 挟み撃ちの難を逃れ、のちの姉川の戦いに勝利していることから「難関突破」「開運招福」の御守りとして現在、金崎宮に置かれています。